戦国武将・藤堂高虎の知名度アップにトークンを利用したい
皆さんは好きな戦国武将と言えば、誰でしょうか?
織田信長? 豊臣秀吉? 徳川家康? 上杉謙信? 武田信玄? 明智光秀?
スミマセン・・・・戦国武将好きなのでキリがありません(w)
まだまだ いますけど・・・。
その中で 私がぜひ知って欲しいと思っている一押しの戦国武将が
藤堂高虎です!
一言で説明すると、
常に時代の先を見据えて自己変革していった成功者です。
現在の日本人が一番参考にすべき偉人だと思っています。
なぜNHK大河ドラマで藤堂高虎を主人公にしないのか理解に苦しみます。
目次
藤堂高虎とは?
190cmの戦国時代としては桁外れの体格で武芸に秀でた人物でした。
初陣はあの「姉川の合戦」で浅井長政軍として足軽で参加し武功を挙げます。
ところが主君の浅井長政は織田信長に滅ぼされます。
浅井家の陣中で、味方の足軽と喧嘩をして(相手を斬って)浅井家を出奔したとも言われています。
その後は、織田氏に吸収された旧浅井家与力武将や織田信澄などを転々としますが、なかなか自分の居場所を見つけることが出来なかったようです・
※画像:ゲーム信長の野望より
歴史上では、目立っていませんが、豊臣秀吉の弟:秀長は、秀吉の足りない部分をフォローし天下取りに貢献した人物といっても過言ではありません。
その豊臣秀長との出会いが高虎の転機でした!
武闘一辺倒だった侍大将を脱皮して、当時の最新技術である土木・築城技術も身につけ、後に加藤清正と並び築城の名手としても名を馳せることになります。
秀長のもとで、用兵学や情報収集戦(インテリジェンス)なども習得し、生涯高待遇で働き甲斐のある有意義な人生を過ごせると思った矢先に秀長が病死をしてしまいます。秀長の養子:秀保の後見人として活躍、朝鮮出兵(文禄の役)では、秀保の名代として海軍を率いて、明・李氏朝鮮軍に恐れられる活躍をしました。
しかしその秀保も17歳で病死・・・・。
途方に暮れた高虎は尊敬する秀長を弔うために武士を辞めて高野山に隠居しますが、才能を惜しんだ秀吉から呼び出しを受けたほどでした。
その秀吉も死亡すると日本に再び激動の時代になります。
※画像:ゲーム 戦国魂 より
秀吉死後は、ある意味秀吉の妻たちによる仁義なき戦いのようなものでもありました!
側室:淀殿の子:秀頼が豊臣家2代目当主となったため、正室:大政所の政治的立場は逆になっていました。
また、秀吉の子飼い武将達も、文化系と体育会系で仲が悪く一枚岩になっていませんでした。
その対立構造が、重なり合い以下のようになっていたのです。
淀殿派≒文化系武将:石田三成、小西行長 など
大政所派≒体育会系武将:加藤清正、福島正則、細川忠興、黒田長政など
そんな中で、豊臣政権ナンバー2の徳川家康が豊臣家の内紛を利用して、次の天下人になるべく動き出します。
豊臣恩顧の武将であった藤堂高虎でしたが、いち早く次に時代を見据えて、得意の情報取集戦(インテリジェンス)を駆使し、徳川家康に味方する行動を取ります。
そして家康のピンチを何度も救い信任を得ます。
そして関ケ原合戦の功績も認められ、外様大名としては異例で徳川家康が死ぬ間際に、「天下に大事があれば高虎に聞け」と言わしめたと言われています。
どうでしょう・・・・。織田信長や豊臣秀吉などのような派手さはないですが、何か我々が学ぶことがある人物に思えないでしょうか?
※藤堂高虎をもっと知りたくなったら、この2つの小説がお薦め。
主君を七度も変えた風見鶏な人物?
高虎が主君に仰いだ人物は以下です
浅井長政→阿閉貞清→磯野員昌→織田家(信澄)→豊臣家(秀長、秀保→秀吉)→徳川家(家康、秀忠、家光)
これだけ主君を鞍替えしていたということで、戦国ゲームで裏切り者、風見鶏などの悪いイメージが付いていることが多い高虎です。
本当のところはどうなのでしょう?
武士は七度主君を変えねば武士とは言えず
という言葉も有名な高虎ですが、その真意は
そして自分の才能を見込んでくれる主君を探し求めての行動であり、実際に、高虎のサラリー(石高)は主君を変える事に増えていきました。
仕事がつまらない・・・など愚痴っては同じ会社に居座っている人は、ぜひ 高虎を見習って自分のスキルを向上して、他部署への異動なり、転職をしてサラリーを上げる努力をすべきかと思います。
※注意:何の努力もせずに転職しても、誰からも認められないので、それはただの無謀ですよ・・。
築城の名手
武芸一辺倒の体育会系から、土木や築城など畑違いの技術者に変身していった事も私が藤堂高虎を尊敬している点です。
高虎が手掛けた城は数多あります。
津城、今治城、大洲城、伊賀上野城、宇和島城、江戸城、大阪城、和歌山城、二条城、大和郡山城、丹波亀山城、篠山城、朝鮮出兵時の倭城の数々・・・・・。
その中で最高峰ともいえる城が 今治城です。
堀の水は海水を利用してあり、海洋城塞の最高傑作とも言われています。
そして、鐵(くろがね)門は、鉄壁の城門といわれ、戦国時代の武力では難攻不落で、日露戦争時の火力ではないと突破できない防御能力を備えていました。
そして日光東照宮の最初の普請は藤堂高虎が手掛けたと言われています。
※後の改修は、同じ甲良出身の棟梁:甲良宗廣です。
世界遺産に登録されている場所が藤堂高虎ゆかりの場所ということで感慨深いです。
藤堂高虎遺訓200箇条
藤堂高虎は藩士のために、200箇条の遺訓を残しています。
そのうち、私が好きな一節を意訳と共に紹介。
※何か現代にも通じるような語録が見受けられます。
第1条 寝屋を出るより其日を死番と可得心かやうに覚悟極る ゆへに物に動する事なし 是可為本意
解釈:家を一歩出たら、死を覚悟して行動すべきである!
うーん・・・まさにサムライ精神!
第2条 常々諸事に心を附 嗜深き人ハ自然の時手にあへはされはこそ心かけ深き故士の本意をとけたるとのさたにあふ もし不仕合にて手にあはさる時も常に心かけ深き人なれとも不仕合 是非なくと取さたなり 善悪の時外聞をすゝく 是徳にあらすや
解釈:常日頃の行動に嗜み深い人格者は、成功した時には「流石!」と言われ、失敗した時には、「あの人が失敗したとは・・・」と残念がられる。
そういう人物でありたい。
第3条 常に物毎由断に覚たる人ハ自然の時手にあひたるとも犬ののみたるへしといふ又手にあハきる時ハ常に心かけなき人なれは尤嘲をうくる是面目なき事なり
解釈:常に油断している人(自己中心とか)は、成功したら「まぐれ当たりだろ」と言われ、失敗したら「ざまあみろ」と言われ面目を失う。
トレーダーで嫌われ者ってそういう人ですよね・・・・。
第5条 目に立過る具足万武道具心得あり
解釈:目立てばいいってものじゃない。自分に合った手段(武具)で戦うべき。
第51条 少事ハ大事大事ハ少事と心得へし大事の時ハ一門知音中打寄談合するにより大事には不成なり少事ハ大事と言は一言の儀にて打はたす也然ルゆへ少事は大事と可慎
解釈:大きな事件はみんなで騒ぐので大事にはならない。常に小さい事件の対処を怠れば、積み重なって大事になる。
仮想通貨で意訳すると みんなが騒ぐイナゴ相場は騒がれている時に乗っかっても旨味がないが、誰も呟いていないところで勝負すれば、コツコツと資産が増えていく。
第88条 物を知くさしたる人物しり顔にてそばつら成事を語る 脇より聞けハ笑止なり物を不知人の咄はるかまし也
解釈:にわか知識でドヤ顔で語っていても、本当の知識を持っている人が聞けば、笑止千万(w)
いますよね‥‥そういう人。※私も注意しようっと(汗)
藤堂高虎の知名度アップに貢献したい!
歴史好きであれば、藤堂高虎の名前や素晴らしさを知っていると思います。
しかし、まだ知名度が高い武将とは言えないという印象です。
そんなわけで、藤堂高虎を広めるために
MONAとWAVESでトークンを発行しました!
これは、Monappyに登録した MONAカード用のトークンの絵柄です。
MONAの藤堂高虎トークンは「TAKATORA」で登録しています。
※もしこのMONAトークンを交換して欲しいという物好きがいましたら
以下のMONAアドレスに 独自トークンを送って連絡をください。送り返します。MWDmd3d87bwiqxN68aZWZb15RBBjMG2Pbu
※返信が無い場合は連絡ください。
WAVESの藤堂高虎トークン名は「TODO TAKATORA」で登録しています。
Wavesは、トークンの絵柄を登録できないので、何か物足りないです・・・。
しかも2100万枚発行してしまったので、希少価値上げるためにBurn機能を使う予定(w)
※もしこのWAVESトークンを交換して欲しいという物好きがいましたら
以下のWAVESアドレスに 独自トークンを送って連絡をください。送り返します。
3P5E43cqhMsLDyEqR9YuRq4VrtgogG3CeSN
※返信が無い場合は連絡ください。
この二つの藤堂高虎トークンを利用した知名度貢献のロードマップ(妄想)を描いてみようと思います。
まあ、思いつきの見切り発車ですので、生暖かく見守ってくださいませ。